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多様性の拡大は表現の自由を制限する 【大坂なおみ、Aマッソの差別ネタにスポンサー商品で切り返し「資生堂の日焼け止めは、絶対に日焼けしない」】

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どういう感じでネタをされたのかは分かりませんが、記事を読むかぎり、小生は笑ってしまった。
漂白剤は秀逸だなと思ったが、どうやら差別的なネタだったようで、若手のお笑い芸人さんが叩かれているようです。
まあ、漂白剤では地肌の色は落ちないので、これをもって差別的というのはどうかと…。
つまり、大阪氏の地肌をどうにかする方法として、漂白剤を使えばいいというのは、科学的根拠に欠けるものであり、お笑いのネタとしてはギリギリセーフなのではないかと考える。
仮に、漂白剤をもちいて、大阪氏の地肌の色が落ちるのであれば、それは立派な差別発言です。
でも、落ちないことを考慮すると、非科学的な発想で、笑いを成立させることができるAマッソ氏のお笑いセンスを評価したい。
とはいえ、このネタを公共の場で披露することは避けた方がいいことは言うまでもない。
公共性の高いテレビでは、不特定多数が視聴しており、色々な考えをもった人間がいることを考えながら、ネタを選択する必要があることと、制作サイドもコンプライアンスを検討しながら、番組を作り上げることが必要となってくる。
一昔前どころか二昔前は、コンプライアンスもゆるゆるだったので、電波にのることができたが、現代では一発アウトである。
多様性という意識が拡大していく中で、逆に精神的な寛大さというものは縮小していったのだ。
昔は許されたことが今は許されない…それまで虐げられてきた弱者サイドの人権・権利が認められるという多様性が社会に認知され、特に差別的な事柄については糾弾されるようになったのである。
おそらく、40代以降の世代は、テレビがつまらなくなったという意識をお持ちの方が大勢いると推察しているのだが、つまらなくなった原因が多様性の拡大にあることが明白だと小生は考えるのです。
弱者の人権・権利が認められ、逆に表現の自由の規制が進む。
もちろん、弱者の人権・権利が守られるべきなので、昔に比べてテレビがつまらない、という発想自体、もはや時代遅れなのでしょう。
しかし、これが自分のチャンネルをもっている場合は別です。
チャンネルといえばYouTubeを始めにイメージされる方もいらっしゃるでしょうが、個人であればブログ等のSNSなどで、個人の主張を述べる場というのは各段に増えています。
そのようなところでの発言については、問題がないわけではないですが、許容範囲であると認めてもよいでしょう。
そのチャンネルが好きであれば見ればいいし、不快に思ったら見なければいい。
Aマッソ氏も劇場やSNS等で、このネタをする分には問題はないと思います。
なぜなら、ある一定数の割合で、この手のネタを好む人々は必ず存在するからです。