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田代まさしは人生の勝ち組に返り咲くことができるのか?

幼少期からデビューまで
1956年(昭和31年)8月31日、母の故郷である佐賀県に生まれる。
出生後まもなくキャバレーのチェーン店経営の父親がほかの女性のもとへ走り両親は離婚。
中学時代まで母親のもとで育つ。
田代が13歳の時、母親が再婚。
その後間もなく父親や父親の再婚相手である女性と一緒に住む事となったが、その生活になじめず素行不良が目立つようになり、酒・煙草・シンナーに手を染める。
高校生になってからも中学生時代からの素行不良は変わらず、ケンカ、暴走族、ディスコ、ナンパに明け暮れ、傷害事件で警察に留置されたこともあった。

シャネルズ ~ ラッツ&スター
1980年(昭和55年)、鈴木雅之桑野信義らと共に、ドゥーワップグループの「シャネルズ」の一員としてメジャーデビュー。
デビューシングル『ランナウェイ』が110万枚のミリオンセラーに。
その後フランスの高級ブランド、シャネルから物言いがついたことで、1983年(昭和58年)に同グループが「ラッツ&スター」と改称された。

書類送検・芸能活動の休止
2000年(平成12年)9月24日に東急東横線都立大学駅構内において帽子、サングラス、マスクという姿で、女性の下着を盗撮しようとしている様子を目撃者から通報され、不審人物として警察が任意同行し事情聴取、東京都迷惑防止条例違反で書類送検された。
同年12月14日に東京簡裁から「罰金5万円」の略式命令が下り、一時芸能活動を休止した。

1回目の逮捕と契約解除
2001年(平成13年)12月9日、田代は近所の男性宅風呂を覗いたとして、軽犯罪法違反容疑で現行犯逮捕された。
さらに自宅から覚醒剤が発見され、覚せい剤取締法違反容疑(使用・所持)で12月11日、再逮捕された。
これを受け、当時田代の所属していたエムティエムプロダクションは同年12月11日付で田代を契約解除した。

2回目の逮捕
執行猶予中の2004年(平成16年)9月20日夜に中野区新井の路上で車を駐車中、再び覚醒剤及び刃渡り8cmのバタフライナイフを所持していたとして、銃刀法違反と覚せい剤取締法違反で現行犯逮捕された。

3回目、4回目の逮捕
2010年(平成22年)9月16日午前2時10分頃、神奈川県横浜市中区新港1丁目赤レンガパークの駐車場の身体障害者専用スペースに止めていた車両をアジア太平洋経済協力会議APEC)国際会議の応援警備に当たっていた福岡県警察本部の警察官が発見。
そこで職務質問を受けた際、コカインをポリ袋に入れて所持していたことが発覚し、直ちに麻薬及び向精神薬取締法違反の容疑で神奈川県警横浜水上警察署に現行犯逮捕された。
また、この際一緒にいた美容室経営者の女も覚醒剤を所持していたため、覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕された。
さらに、女のポーチや女性の自宅に覚醒剤、コカイン、大麻を隠し持っていたとして、同年10月14日再逮捕された。

今回の逮捕で5回目
田代まさしのだらしなさというより、覚醒剤の常習性の怖さが浮き彫りになったということか。
そこから絵にかいたように転落していく人生模様に、オイラは唖然としたね。
でも田代はストレス発散のために、罪を犯すことを選んだ。
普通に考えれば絶対にしないが、捕まるか捕まらないかのスリルを感じることでしか、ストレス発散餓できないまで自分を追い詰めた。
もしくは、単純に破滅願望があったということも考えれられる。
どちらにしても芸能界で生きていくには、田代の精神は図太くなかったということなんだな。
また、決して恵まれた人生を歩んでいたわけではなく、苦しい時代を多く経験したことも、犯罪に手を染める結果となったのかもしれない。
だから、一時の幸せは幻想ではないかと思いながら生きていて、幸せな生活を守ることへのプレッシャーもストレスの要因だったのかもしれない。
ともあれ、田代の人生は死ぬまで好転することはないだろう。
ここから逆転する手があったら、オイラも知りたいけどね!

世間では早くもインフルエンザが流行り始めているね。
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